2009年10月31日 (土)

奈良

 奈良

奈良に宿泊したとき、奈良公園へ散策た。

その時の写真である。

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観光ツアー

山寺

 山寺(宝珠山立石寺)は、貞観二年(860)清和天皇

の勅使により天台宗の僧、慈覚大師円仁によって、

開基された霊場である。

奥の院まで1015段の石段が続き、52万坪の境内には、

幽玄ともいわれる情景が、広がる。

途中にある五大堂からの眺めは、素晴しい。

ここまでは、観光客が来る。

前回来た時、松尾芭蕉の「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」

の句碑があったが、これが見つからない。

その代わりに、立札で句と説明文が立ててあった。

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鳴子峡

 鳴子峡は、侵食で刻まれた深さ100mもある大渓谷

である。

鳴子峡遊歩道は、断崖絶壁に沿って2.5Kmもあると

説明されているが、現在閉鎖中のため通行出来ない。

大深沢橋から眺める紅葉の景色は、素晴しい。

灰渇色の岩肌とブナ・ナラなどの黄色、鮮やかなカエデ

の赤色、マツの濃い緑がそれぞれ引き立てあい素晴しい

紅葉であった。

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銀山温泉

 銀山温泉は、かって、江戸時代初期の大銀山として

栄えた「延沢銀山」の名称に由来している。

大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造旅館が、

銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特な

景観を味わうことが出来る。

しかし、車で行けず、山の上に車を止めて、15分位

歩いて行かなければならない。

川岸の両側の道も狭く、観光として訪れても見るもの

が、少ない。

旅館街の一番奥の先に滝があるが、行く人も少ない。

どのように観光客を呼込むのか、感じられず、寂れた

感じをした。

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最上川船下り

 最上川は、古く奈良時代より船運として栄えた。

奥のほそ道で、芭蕉が船で下り有名になった。

船頭の語る、最上川の歴史と文化と舟歌に耳を傾け

ながらの船下りである。

当日は、雨でビニールのカバーで、船全体を覆いが

あり、外が見えない。

景色を見る時は、ビニールの覆いを開けなければ

ならない。 

風と雨が入り込み状況は、よくなかったが景色を楽しめた。

最上川は、

山形県
内だけを流れる延長299Km1

河川で、日本三大急流の一つである。

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2009年10月 9日 (金)

孫(4)

(4)

3歳の孫は、何でも自分でやりたい年頃である。

エレベータに乗っても行先ボタンを押す。

こちらが先に押すと「ワタシガヤルノ」と言って泣く。

階段の昇り降りや、歩道を歩く時、先頭になって行く。

こちらが先になって行くと、泣出しそこで停まってる。

孫を自宅に預かった時、ママから電話が掛かってくると

「デルノ」といって、受話器を取り、舌足らず言葉で

意味が分からないが、何かを話している。

スーパーへ行った時、エレベータから降りるとき、

妻と娘が、先に降りたら「ワタシーーー」と言って

泣出し、そのまま、じっと立っている。

乗ってくる人がいるので、私が、抱きかかえて、降ろ

そうとしたが、手足をバタバタして暴れる。

乗ってくる人も、乗れないで、いるので、無理矢理

抱いて降ろした。

その場に降りても、泣きながら叩いてくる。

私は、妻と娘に孫を預け、帰るために駐車場へ行った。

孫が、車に乗る時、「ヂイ、タタイテゴメンネ」と言った。

先日の日曜日の10時過ぎに、妻、娘、孫とスーパーへ

買物に行った。

早く帰るつもりだったが、混雑と買物が多いので、時間が

かかってしまい帰るのが、遅くなってしまった。(13:30)

帰る途中、娘が携帯で自宅へ「今、帰る」と電話した。

娘婿は、昼食に食べるものがないと言って、機嫌が悪く

怒っていた。

孫が電話を取り、「パパ、ダイスキ」「パパ、オトナシク

オルスバンシテイテネ」と言った。

娘に電話を代わると、娘婿の機嫌が直ったという。

孫を毎日、保育園へ送り迎えしている。

娘が帰宅してから、私達が帰るのであるが、孫が玄関迄

来て、体を90度折り曲げて、両手が床に着く様にして

「キヨウワ、アリガトウゴザイマス」と言う。

そして「クルマニ、キヲツケテカエッテクダサイ」と言う。

いろいろと、教えないのに言葉を覚えて来る。

今後の成長が、楽しみになる。

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2009年9月21日 (月)

徒然雑記

 

徒然雑記

 順番に並んでいて、バス始発駅から乗り後方に座る。

後から、年老いたお婆さんが乗って来た。

足元も覚束ない、よたよたしながら、首もあまり動かない

ようだったが、定期券位の大きさの紙56枚を運転手に

見せたが、運転手は「違いますよ」と言ったが、そのまま

席取りに行った。

運転手は、マイクで「保険証では乗れませんょ」と言った

がそのまま席に着いたままだった。

マイクで数回「お金を入れて下さい」と呼んだが、

聞こえないのか、そのままだった。

後から乗ってくる人がおり、乗ってきた人は、自分の

事かと、運転手に確かめに行った。

お婆さんの隣席の人が、お婆さんに何か言ったので

覚束ない足取りで乗り口に行き料金を入れた。

バスは、ようやく発車した。

最初、横浜市の敬老特別乗車証を見せたのかと思ったが

違っていたようだった。

保険証で乗れると誰かが教えたのか ?

誰か付き添いの人が一緒に来るべきだったのではと思った。

誰もが通る老化の姿を見たようだった。

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エコーポイント(2)

エコーポイント交換商品 引換証 が送られて来た。

ツーリスト旅行券10,000円券である。

代理店、特約店では、引換えができませんので店舗で

引換えて下さい。

お持ち戴くものとし

       引換証(本ハガキ)

       本人確認書類(運転免許証、健康保険証など)

     ご家族の方が代理で引換えに来られる場合でも

ハガキ記載のお客さまの本人確認書類をお持ち下さい

店舗に行き交換してようやく商品券が得られる。

平日にバスを乗り継いで支店迄行った。(1時間かかった)

その日は、定休日だった。

又、出直して行って、ようやく商品券と交換出来た。

旅行会社のツアーに行く時、商品券を使用することを述べ

説明書を同封しなければならない。

これだけの手順と時間をかけて、ようやくエコポイントが

活用出来たこととなる。

手続きをしてから約3ヶ月かかった。

購入時に現金還元のシステムとすると、このような無駄

な事をしなくてすむと考えた。

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2009年9月 2日 (水)

伊吹山

伊吹山

 日本百名山で高山植物の宝庫といわれる伊吹山に

着いた時は、霧が出ていて山容が分からない状態だった。

伊吹山ドライブーウエイの終点の山頂の駐車場(標高

1,260m)より山頂(標高1,377m)中央まで、お花畑を

散策する3つの遊歩道がある。滋賀県岐阜県

の県境に位置する標高1,377m(滋賀県では最高峰)

自然豊かな山です。

日本百名山の一つでもあり、高山植物には、伊吹山

固有種も多く貴重な自然の宝庫である。

若い頃、スキーに2回来たことがあるが、どの辺りか

見ることが出来なかった。

斜面が違う場所であるものと思われた。

この頃は、暖冬の影響で寂れているようだ。

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近江八幡

近江八幡

 水郷と古き商家のたたずまいのある伝統的建造物群

保存地区の近江八幡に行って来たる。

日本全国を商圏域として活躍した八幡商人

商人の故郷である近江八幡には、質素ではあるが堅牢な

商家の本宅や土蔵が、いまも建ち並ぶ歴史と伝統ある

町並みがある。

日牟禮八幡宮は、八幡山の南麓に建つ旧

八幡町
の総社で

近江商人の信仰を集めていた。

白雲館は、明治10年に建てられた貴重な疑洋風建造物

です。平成6年に解体修理され往時の姿に復元され、

現在は、観光案内所として利用されている。Dsc02068_small

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信楽の里

信楽の里

 陶器で有名な信楽焼きの窯元の見学に行って来た。

信楽の里一帯は、狸の置物が沢山並んでいる。

窯元の経営者から、狸の由来、種類、縁起の良い信楽焼き

の説明を受ける。

ここの登り窯は、この周辺で最大の11室あるが、現在、

使用されていない。

今は、電気炉又はガス炉である。

理由は、煤煙を出す環境公害と18人位の人と薪の使用量

が約1000束の値段、焼くのに1週間の日程が必要である。

登り窯の内部には、狸がそのまま鎮座していた。

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根本中堂

根本中堂

 根本中堂の堂内で僧侶より一般的な説話を聞いた。

内部は、薄暗く最澄が灯した灯火が1200年間一度も

消えることもなく輝き続けているので不滅の法灯と言われ

ている。

根本中堂とは、比叡山延暦寺の総本堂である。

中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師寺・

文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を

中堂と呼ぶようになり、後にこの三堂は、一つの伽藍に

まとめられ中堂という名前が残ったとされている。

比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、

中心的建築物である。

1200年前、伝教大師最澄は、日本の国の安泰と国民の

幸せを祈って日本人に合った仏教を比叡山に開いた。

その教えの根本をなすものが「個々が思いやりの心を

持って一隅を照らす人になる」すなわち一人一人が相手の

立場に立って考え自分の出来ることを精一杯行うことが

周りが良くなっていくと言うことです。

「一隅を照らすこれ即ち国宝なり」ということである。

この様な行動を皆が行うと、日本は、素晴しい国になる。

現在の根本中堂は、織田信長の比叡山焼き討ちの後、

慈眼大師天海の進言により徳川三大将軍家光の命によって

寛永11(1634)より8年の歳月をかけて再建された。

総桧造りの寝殿造りとなっている。

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